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東京地方裁判所 事件番号不詳 決定

東京都中野区江古田一丁目百八十番地

抗告人

野村秀三郎

同所同番地

相手方

山木俊助

右法定代理人親権者

山木節

同所同番地

相手方

山木貞夫

同所同番地

相手方

山木芳久

同所同番地

相手方

山木 の

右四名代理人弁護士

武田凞

抗告人は、当裁判所昭和二十二年(ニ)第三〇号及び同年(ノ)第十九号調停事件につき、昭和二十三年四月二十八日当裁判所がなした決定に対し、適法な抗告の申立をしたから、次の通り決定する。

主文

原決定の一部を左の通り変更する。

第四項但書中「其の場合でも山木俊助から野村秀三郎に対し賠償請求を為し得べきこと。」を「その場合損害が生じたとしても、山木俊助は野村秀三郎に対し、その賠償請求をしないこと。」に変更する。

第五項を次の通り変更する。

「抗告人が相手方の全部または一部との同居生活中に水道、ガス、電気、便所等の設備の共同使用により生じた費用の負担については、当事者双方で協議の上これを定めること。」

第六項を次の通り変更する。

「山木俊助は、野村秀三郎のした昭和二十一年三月分より同年十月分までの賃料合計金七百円の供託が適法であることを認めること。

野村秀三郎は、山木俊助に対し、昭和二十一年四月一日から昭和二十二年八月三十一日までの賃料として、一ケ月金四十二円宛、昭和二十二年九月一日から抗告人が右家屋全部を明け渡すまでの賃料及び損害金として一ケ月金百五円宛の各割合による金員の合計額から前項の金七百円を控除した金員を支払うこと。」

本件抗告中その余の部分は、これを棄却する。

抗告費用は、抗告人の負担とする。

理由

本件抗告申立の理由は、別紙記載の通りであつて、本件記録によれば、本件調停事件の本訴訟事件である東京区裁判所昭和二十一年(ハ)第三八三号家屋明渡請求事件及び同裁判所同年(ハ)第四七八号占有回収請求事件における請求の趣旨、原因、答弁及び両当事者が提出援用した証拠は、原決定に記載せられている通りであるから、ここにこれを引用する。

疏明として、抗告人は、疏甲第一乃至第十号証、第十一号証の一、二、第十二乃至第二十五号証及び告訴事件調と題する書面(昭和二十五年三月十三日付)を提出し、証人野村はま及び抗告人本人の訊問を申し出で、相手方は、疏乙第一号証の一、二、第二号証の一、二、第三号証の一、二、第四号証第五号証の一、二、第六乃至第八号証を提出し、相手方山木貞夫(二回)及び同山木俊助法定代理人山木節の本人訊問を申出で、当裁判所は、双方申出の右証人及び本人をすべて訊問し、相手方山木貞夫、同山木俊助法定代理人山木節、同山木 の、田島祥二、田島とし子を審訊した。なお相手方山木俊助法定代理人山木節は、上申書と題する書面二通(昭和二十四年十二月二十七日受付のもの及び昭和二十五年三月十四日受付のもの)を提出した。

そこで審案するに、

先ず原決定に至る本件の経過の概要を観るに、本件終局の争点は、家屋明渡請求事件にあつては、抗告人が相手方山木俊助から賃借中の家屋について解約が成立しているか否かであり、占有回収請求事件にあつては、相手方等が右家屋に入居するについて抗告人の承諾があつたか否かであるが、本案裁判所は、東京都に於ける極端な住宅難の現状にかんがみ、調停による解決を妥当とし昭和二十二年六月六日家屋明渡請求事件を借地借家調停に、占有回収事件を戦時民事特別法による調停に付したところ、調停裁判所は、昭和二十三年二月二十三日に至る間前後八回に亙つて調停委員会を開き調停をこころみたのであつたが、遂に調停成立に至らなかつた。しかも調停裁判所は、事件を訴訟によつて解決するを相当でないと認め、調停委員の意見を徴した上、事件を併合し原決定によつて調停に代る裁判をしたのである。而して原決定の主文は、次の通りである。

(一)  山木俊助は、野村秀三郎に対し、予て賃貸中に係る東京都中野区江古田一丁目百八十所在木造瓦葺平家建住宅一棟建坪三十三坪五合五才(実測三十四坪九合二勺)に関し、嘗て為した解約申入を撤回し、山木貞夫、山本芳久、山木 のは野村秀三郎に対し、昭和二十三年五月三十一日限り其の占有中に係る右家屋内南側八畳及び北側四畳半の二室並びに其の附属部分を明渡し、野村秀三郎は右家屋内北側六畳室並びに其の附属部分に付いては既に同人等から明渡を受けていることを確認すること。

(二)  野村秀三郎は、山木俊助に対し、右家屋全部に関する賃貸借契約が昭和二十三年五月三十一日限り解除せられることに合意し、其の内南側八畳及び北側四畳半の二室並びに其の附属部分に付いては、前項山木貞夫外二名から明渡を受けると同時に、又其の余の部分に付ては、昭和二十三年十二月三十一日迄明渡猶予を受け、同日限り夫々其の明渡を為すこと。

(三)  野村秀三郎は、前項の一部明渡後、山木俊助自身及び其の直系親族は勿論、姉妹其の他親族縁者を伴い、其の跡に居住することに異議を留めぬこと。

(四)  山木俊助は、野村秀三郎が其の子能雄をして、右家屋内明渡猶予を受けている部分に於て、歯科医業を営ましめることに異議を留めず、其の業の妨害となるような行為を為さぬよう慎むこと。但し、野村秀三郎は、右家屋から退去明渡を為すに当つては、責任をもつて能雄を伴い、改造した部分に付ては、之を原状に回復し、万一回復しないときは、其の部分に付ては、権利を抛棄し、山木俊助の自由処分に委すること。其の場合でも山木俊助から野村秀三郎に対し、賠償請求を為し得べきこと。

(五)  前記各項の趣旨に従い、野村秀三郎及び山木俊助が共同して、右家屋内に居住する限り、玄関其の他入口、炊事場、湯殿、便所、井戸其の他水道、瓦斯、電気等諸設備は、各其の用法に従い、双方共同使用することを承認し、互に他の使用を妨害せぬこととし、汲取其の他水道、瓦斯、電気の使用により生ずる費用は、各別に計量器の設備をせぬ限り、原則として、之を三分し、其の一を野村秀三郎、其の二を山木俊助の負担とすること。但し電熱器及び電力による歯科治療用機械を使用する場合は、互に他の承認を求め、之が為に特に生ずる費用については、当事者間に於て別に其の負担方法を協定すること。

(六)  野村秀三郎は、山木俊助に対し、昭和二十一年四月一日から昭和二十二年八月三十一日迄の間は、右賃料として、一ケ月金四十二円宛、昭和二十二年九月一日から北側六畳室並びに其の附属部分明渡済に至る迄の間は、同様一ケ月金百五円宛の割合による金員を、昭和二十三年五月三十一日限り一括して支払を為し、又北側六畳室並びに其の附属部分明渡後残余全部の明渡を終る迄の間に、賃料相当損害金として一ケ月七十五円宛毎月末日限り順次支払を為すこと。但し野村秀三郎が第二項に定めた猶予期日に先立ち、月の中途で明渡を履行した場合は、其の月分に付ては、明渡と同時に其の支払を為すこと。

(七)  野村秀三郎は、山木貞夫、山木芳久及び山木 のに対し、同人等が右家屋内南側八畳、北側四畳半及び同六畳の三室並びに其の附属部分を占拠使用したことにより、生じた損害金に付ては、其の賠償を求めぬこと。

(八)  山木俊助及び野村秀三郎は、右家屋内に共同して居住する限り互に他の住居を尊重し、相侵犯するようなことのないのは勿論、円満な交際を為すよう努むべきこと。

(九)  本訴訟及び調停によりて生じた費用は、総て各支出者の負担とすること。

右裁判がなされるに至つた手続については、これを違法とすべき理由の認むべきものがないから、右裁判の実体的当否について判断することとする。便宜上次の四点に分つて論ずる。

第一、必ずしも本件の決定的要点といはいえないけれども、訴訟に於ける争点をどう取扱うかということであるが、相手方俊助が家屋明渡請求事件で主張する解約申入は、昭和二十一年八月十六日附(同月二十九日抗告人に到達)の書面によるものの外は訴訟によつて主張しようとするほど、明確な意思の表明であつたか否かは多少論議の余地はあるとしても、右書面によるものは、抗告人としてもこれを争う余地のない明白なものであつたことと、相手方等の本件家屋に対する入居は、相手方等としても抗告人の明示の承諾があつたとは主張することができない程微妙なものであつたこととである。当裁判所は本案の裁判所でないから、右二点について判断を下そうとは考えない(尤も解約の正当事由に該当する事実は後述するところで自ら判断したと同一の結果になる。)が、この二点は本件調停に代る裁判の法律的正義を支持する要素として、みのがし難い事項であることを指摘したい。

第二、本件の事実関係にもとづく紛争について調停に代る裁判をするには、先ず何を措いても賃貸借の一部解除を基礎とする同居の措置をとることが最も妥当ではないかということが考えられるのであるが、昭和二十五年三月十六日附抗告人提出の告訴事件調によれば、相手方等が昭和二十一年三月二十八日本件家屋に入居して抗告人と同居して以来、抗告人が家宅侵入、暴行、電気、瓦斯盗難、偽証教唆、傷害、暴行強迫又は名誉毀損及び文書偽造を理由として、相手方の一部又は全部を検察庁に告訴すること十一回に及んでいることを認めることができる本件にあつては、一時的にもせよ、宥和して同居することは到底期待できないから、かかる措置はこれを採らないこととする。

第三、そこで本件家屋は、抗告人か又は相手方側の単独占有に委す措置をとるの外ない次第である。それには、前記第一に述べた事情も素より考慮に加えらるべきであるが、何といつても当事者双方に存する一切の具体的事情を詳細にしらべてそれによつて判断をするのが最も妥当である。

前記家屋明渡請求事件における証人田島とし子、同山木 の、被告野村秀三郎の各供述、前記占有回収請求事件における証人芳川巖、被告山木貞夫の各供述、当審における証人野村はま、抗告人の各供述、当審における山木俊助親権者山木節、山木貞夫の各供述を綜合すると、次のような事実が認められ、右各証拠中次の認定に反する部分はこれを採用しない。即ち

本件家屋は、山木武俊が昭和十五年中、家督相続によつて、その所有権を取得したものであつて、当時右家屋には、武俊の母 の、妻節と三名の子女、及び武俊の弟芳久、重雄、五郎、妹佐 が居住していた。

武俊は、昭和十六年夏長崎医大事務官となつたため、じらい妻節と三名の子女を携えて長崎に居住し、弟重雄、五郎は、その後軍隊に入隊し、昭和二十年春頃は、本件家屋に の、芳久、佐 の三名のみが住んでいた。

当時空襲が激しかつたため、芳久の勤務先が山形県下には疎開することになつた関係から、右の三名も同地に疎開することになり、 のが武俊を代理して、同年四月二十二日抗告人に対し、本件家屋を賃貸することとなつた。また山木貞夫は武俊の次第であり、同人が学生時代昭和六年春頃までは、その両親及び武俊、芳久等の兄弟とともに右家屋に居住していたが、その後独立の生計を営み、昭和十五年頃から右家屋の附近に借家した都内の商事会社に勤めていたところ、昭和十九年中応召したので、妻子を妻の郷里に疎開させ、借家を返還して外地に赴いた。

一方武俊は、昭和二十年八月九日長崎で原子爆弾のため、妻子五名を残して死亡してしまつた。終戦後重雄は、昭和二十一年二月に復員し、当時山形の勤め先を失職した芳久とともに、同人等の姉とし子の婚家である田島祥二方に身を寄せていたが、他方 のは、本件家屋に長崎の遺族をひきとり、山木一家がともに居住するため、その頃田島祥二、芳久、重雄を通じ、また警察その他を介し、抗告人に対して、再三本件家屋に同居方を申入れたが抗告人の承諾をうるに至らなかつた。かくするうち、同年三月二十六日外地から復員した貞夫は、翌二十七日夜抗告人を訪れ、兄武俊が死亡したのでいずれは、その遺家族も引揚げてくることや、貞夫が同人の妻子や母 のを引き取らねばならぬが、住宅難で困つていること等山木一家が本件家屋に居住せねばならない事情を訴えてその明渡又は同居方を懇請した。これに対し、抗告人としては、その申出を承諾したわけではなかつたのであるが、その時抗告人の応待は、かなり同情的であり、右の申出に対し明確にこれを拒絶する態度に出なかつたので、貞夫としてはその交渉の際に交わされた双方の言葉の様子や抗告人の態度からして、抗告人が右家屋中南側八畳北側六畳、四畳半の三室を賃貸人側で使用することに異議がないものと解し、翌二十八日芳久、重雄らと共に本件家屋に入居したところ、抗告人は、同居を承諾したことがないといつて争つたが、貞夫らは、前日の交渉で部屋割もきまつたと主張して、当時抗告人が客間として使用していた右八畳と山木一家の荷物置場となつていた右の四畳半の二室にそのまま引き移り、じらい本件家屋に同居し、ついで同年十月下旬頃貞夫の妻子四名も疎開先から引越して右の八畳に居住するようになつた。

他方亡武俊の妻節は、終戦後長崎からその子女とともに速かに帰京し、本件家屋に戻つて、生活の対策をたてたいと考え、本件家屋明渡方交渉は、一切 のに一任していたが、当時は、交通事情もわるく、病気勝でもあつたので、長途の旅行にたえ難かつた上に、旅費の捻出にもこと欠く状態であつたため、一時帰京を見合わせることとし、長崎県下の農家の一家を間借して、針仕事等の内職をしたり、居村の学校の教員をつとめたりして漸く生計をたてていた。そのうち同居先から立退きを要求せられることになつたが、丁度東京で節が就職する目当もついたので、昭和二十三年二月俊助ほか三名の子女を携えて上京し一時貞夫らのもとに身を寄せ、その後前記田島祥二方の一室に親子五名が同居させてもらつて現在に及んでいる。しかし田島方には、昭和二十一年春疎開先より引揚げてきた の及び前記佐 も同居して同家に迷惑をかけており、同家では、同居先で立退きを迫られている田島祥二の叔父夫婦とその孫を引き取つて面倒をみなければならない関係にもあるのに、単に外戚の関係にすぎない山木一家として、その多人数の家族が長期にわたつて同居して厄介になつているわけであるから、将来さらに引続き同家の世話を受けることは、義理人情の上から到底しのびない事情になつてきている。また山木節とその子女には、本件家屋の他にみるべき財産はなく、節と長女の給料と若干の遺族扶助料とによつてその生活を維持しており、山木貞夫も一介の会社員であつて、ともに他に居住先を得るに足る資力があるものといえない。

次に抗告人側の事情をみるに、抗告人は、本件家屋賃貸の当初はこれを妻と二人だけで使用していたが、昭和二十年の秋頃、静岡から次男の能雄を呼びよせて家族の一員として同居させ、同年十二月頃から東側六畳を診療室として次男に歯科医を開業させ、南側八畳を夫妻の寝室兼客間に、南側六畳を患者待合室に、北側六畳を次男の寝室にあてていたが、山木貞夫らが前記のように同居してからは、南側六畳を夫妻の寝室兼茶の間とし、玄関三畳を待合室にして今日に至つている。抗告人はもと官吏で現在これという財産もなく職業もないが、抗告人夫妻がそれぞれ受けている恩給と、土浦にいる長男及び次男からの若干の援助によつて生計をたてているものである。

以上認定のような双方の事情から考えると、山木貞夫らが前記二室を占有しはじめた昭和二十一年三月当時は、賃貸人側からなされたという最初の同居又は明渡の申入から起算して、解約の法定の期間が経過していたと認められる明瞭な資料があるともいえず、かつ抗告人が前記の通り、賃貸人側の同居を承諾していなかつたものであるとするならば、貞夫らが本件家屋に入居するわけにはいかなかつたものといわねばならぬ筋合であり、抗告人が、貞夫らが入居したことを強く非難するのも一応もつともである。しかし本件家屋は、貞夫にとつては、かつて父母兄弟とともに住んでいた家であり、重雄にとつては、出征前まで住んでいた家である。賃貸人側としては、極度の住宅難の当時に復員してきたこの両名や、当時疎開先で失職した芳久らを本件家屋に居住させたいと念願するのもまた極めて自然であつたといわねばならない。当時抗告人一家は建坪三十三坪余の本件家屋を僅か三人の家族で使用していたのである。抗告人が当審でも供述するように、その頃抗告人方では、抗告人の長男の一家三人と三男が本件家屋に同居する予定であり、また次男の結婚も予想せられていたとしても、右のように賃貸人側の現実の必要からする本件家屋の一部提供の要求を峻拒するのは当事者間に感情の対立を招き易いこと明かであるというべく、抗告人としては法律上の義務のあるなしに拘らず、当時の住宅事情や、賃貸人側の苦衷にも思いを馳せて、せめて、一、二室なりと譲歩すべきところであつただろうと考えられる。しかも前記第二で述べたように、抗告人は貞夫らが本件家屋に入つたことが、住宅侵入であるとしてその告訴をしたのをはじめとし、貞夫ほか山木一家のものに対し、電気ガス盗用、傷害、暴行脅迫脅喝その他十指に余る告訴事件を提起している外、当審における抗告人及び相手方山木貞夫の供述によれば、昭和二十一年春以来今日に至るまで山木一家と抗告人一家との間に感情の衝突による紛争の絶間なく、常に険悪且つ陰惨な対立状態が支配していることが認められる。

事態がこのように深刻な経過をたどつているのは、もとより貞夫が抗告人の承諾をえたものとして本件家屋に居住するようになつたことにその原因の一部を認めるべきであろうが、むしろ、その原因の大部は抗告人としては前記の通り、当時賃貸人側の同居の申出を拒否しなければならないような事情がなかつたのに、多少の不便を克服して同居生活をしのぶという態度に出でず、また、賃貸人側に対する刑事責任の追及には極めて熱心ではあるが、賃貸人側の立場をも考慮するという互譲を欠いていたことにあるものといわねばならない。殊に抗告人は、右の紛争解決のため何等積極的な努力をつくした形跡なく、当審における山木節、太田実提出の各上申書によれば、太田実が右の紛争について仲裁の労をとるべく抗告人が適当な移転先に移転しうるよう両者間にあつて斡旋するところがあつたが、抗告人はその仲裁の申出自体すら一蹴してこれを顧みなかつたことが窺いえられる。さらに抗告人側では、次男能雄が歯科医を開業していることでもあり、他に移転先を求めるとすると、賃貸人側に比較して、信用資力の点でも、勝つているものというべきであろう。右のような抗告人側の態度や条件は、いまこの事件の家屋を占有すべきものを定めるについて重要な因子をなすものと認めてよいであろう。

以上諸般の事情を仔細に検討した結果、当裁判所が本項の冒頭で問題とした点について到達した結論は、本件家屋は終局においてこれを全部その所有者たる相手方山木俊助に明け渡すこととするのが相当であるということである。原決定はこれと同一の結論をえ、これを実施に移すについて第一項乃至第九項の細目を定めたのであるが、この定は次項において変更する三点を除いてはおおむね妥当である。

第四、抗告人は別紙抗告理由書に示すように極めて詳細な抗告理由を主張している。このうち第一款において主張するところはすべて家屋明渡請求事件及び占有回収事件の本案についてその主張を詳述するものであつて、これに対する判断は、本案裁判所の職責に属し調停裁判所のそれに属しないことはすでに述べた通りである。調停裁判所は、調停に代る裁判をすることについて、必要と認める限度において事実の判断をすれば即ち足るのである。この裁判においては、素より右抗告人の主張するところにふれているところもあるが、そのすべてについて判断を示さなければならない訳のものではないのである。

そこで結局本件の抗告理由は、第二款が問題となるのであるが、その第一項及び第二項は、或いは原決定の総括的な非難であり、或いは調停の経過の説明にすぎないから、上叙の説示を以てこの点に対する判断に代えここに特に判断を加えない。第三項の一乃至八について判断することとするが、その判断は順を追つて説明すれば次の通りである。

一、前段に原決定主文第二項の明渡の猶予期間が六ケ月では短かすぎ借家法の精神に反するとか、抗告人の家族員数が少いのは、本件紛争のため次男能男の結婚を見合せているからであるとか述べているけれども、明渡猶予期間を六ケ月とすることは借家法の規定に副いこそすれ、これに反するものでないのみならず、原決定は、昭和二十一年八月二十九日抗告人に対し書面を以て為されたことについて本案訴訟において当事者間に争のない解約申入の後、既に一年八月を経過した昭和二十三年四月二十八日なされたものであることに顧みれば、決して不当の措置とはいえない。

又現に家族員数が三人であつて相手方に比し比較的少い以上、これを基礎にして調停の条項を定めることは当然であつて、これについて抗告人主張のような事情までも考慮しなければならないものではない。

次に後段で金銭債務臨時調停法の準用によりなされた原決定において、賃貸借の解約の合意を定めることは、法律上の根拠がないのみならず、法律の精神に反すると主張するけれども、訴訟が所有権にもとずく明渡請求権である家屋明渡請求事件の調停事件において、訴訟の被告たる抗告人の主張する賃借権の存否について、当事者間に争があるので、これを形式上消滅させるため、合意により賃貸借を解除する旨の条項を定めることとしたのである。かかる措置は、戦時民事特別法第十八条又は第十九条の規定により同法の規定による調停又は借地借家調停に準用される金銭債務臨時調停法第七条の規定により、これをなし得るものと解するから、原決定の主文第二項は法律上の根拠のないものでもなければ、法律の精神に反するものでもない。

三、原決定第三項は相手方山木貞夫等の暴力を是認したことになるというけれども、相手方山木貞夫等に暴力行為があつたか否は第三項の裁判の前提として確定されているところでないのみならず、第三項の裁判をするについて確定することを要する事項でもないのに、裁判所が確定しない事実を前提とする抗告人の主張は当を得ていない。また原決定は、相手方山木俊助がその直系親族、姉妹その他の親族縁者を伴つて抗告人が明渡した部分に居住することに抗告人において異議を述べないことを定めたものであつて、相手方山木俊助に対し明渡猶予期間中これ等の者十九人を伴つて抗告人と同居することを命じたものではない。この条項を以て直に憲法第二十五条の規定を無視した不当杜撰なものとはいえない。

四、原決定第四項但書を以て抗告人が本件家屋から立ち退くにあたつては次男能雄を伴うこととしたのは、賃借人は、賃貸借の終了による立退きに際し、自己が同居させた家族を退去させて、賃借建物を返還することを要するという賃借人としての当然の義務を明かにしたにすぎないものであり、抗告人に対し、何等特別の義務を負わしめたものとはいえない。

しかし抗告人が家屋の改造部分の原状回復をしないため、相手方山木俊助がこれを自由処分するについて生じた損害につき、原決定が同項末尾において定めるように、抗告人にその賠償を求め得ることとすることは、原決定第七項に対比して適当でないと考えられるから、原決定第四項中この点に関する部分を取消し、この場合損害が生じたとしても、山木俊助は矢張り損害賠償の請求をしないことに変更する。

五、原決定第五項は、抗告人が原決定第一項ないし第四項に従い賃貸人と本件家屋に同居する場合に、その同居期間中における電気ガス等の料金の分担について定めたものであるが、山木貞夫、同芳久が本件家屋に同居し始めた昭和二十一年三月二十八日以降抗告人が本件家屋を明け渡すに至るまでの間、抗告人と右貞夫、芳久又は山木俊助とによつてなされた同居生活の全期間における電気、ガス、水道、汲取等の料金について、ここでその分担の内容を定めておく方がより適切であり、またこの点が本件調停事件の本訴で争点となつていないにせよ、これに関する定めをすることは調停事件の裁判として将来の争いをさけるため必要であるから、何等違法ではない。しかし当審における前記山木節の供述及び山木貞夫の陳述によれば、現在まで同居の人数に再三異動があつたことが認められるのであり、また右の料金中には、抗告人の次男能雄が専ら歯科治療上のために生じたものも含まれるわけであるから、右の料金を抗告人の負担に帰すべき部分と然らざる部分とに判然区分し、その分担の内容を定めることは容易になし難いところであつて、むしろ抗告人と相手方の全員が協議の上、その負担の内容または方法を定めるのが相当と考えられるから、原決定第五項はこれを取り消し、右費用の負担、支払方法は当事者の協議によつて定めることに変更する。

六、抗告人が昭和二十一年四月分から同年十月分までの賃料として計金七百円を供託したことは疏甲第二十一ないし第二十五号証により明らかであつて、原決定第六項で抗告人が賃料として支払うべきものとする金員から右供託による金員を控除するのが相当であり、かつ同項にいう本件家屋北側六畳室及びその附属部分の明渡が現在まで行われていないのであるから、原決定第六項は、これを取り消し、山木俊助において抗告人のした右の供託が適法であることを認めることとするとともに、抗告人は、山木俊助に対し昭和二十一年四月一日から昭和二十二年八月三十一日までの賃料として一ケ月金四十二円宛、昭和二十二年九月一日から本件家屋明渡ずみまでの賃料及び損害金として一ケ月金百五円宛の各割合による金員の合計額から右供託にかかる金七百円を控除した金員を支払うことに変更する。

七、原決定第七項で、抗告人は、山木貞夫等が本件家屋の一部を占拠使用したことによる損害の賠償を請求しないこととしたのは違法かつ不当であるというけれども、原決定が、相手方山木貞夫同芳久、同 のに対し本件家屋の一部について明渡義務のあることを認めたほか、抗告人が本件家屋を明け渡すについて一定期間の猶予をも認める等、相手方側にも譲歩を求めているのであつて原決定が、派生的な争いをも防止して、紛争の全面的解決を期するため、抗告人が右の損害賠償の請求をしないこととして、抗告人の妥協を求めたとしても、何等違法ではなくまた衡平を欠く不当な措置であるとはいえない。

八、原決定第八項をもつて、本訴訟及び調停により生じた費用は各支出者の負担とすることとしたことは、本件の裁判として相当であつて、これを相手方側にのみ負担させねばならないという何等の理由もない。

以上の通り、原決定中第四項第五項及び第六項については、前記のようにそれぞれこれを変更するを相当と認めるが、右変更に係る部分以外については、何等違法又は不当と目すべきものがないから、この点の本件抗告は失当としてこれを棄却すべきである。

そこで、抗告費用の負担につき、非訟事件手続法第二十五条、民事訴訟法第四百十四条、第八十九条、第九十二条但書を適用して主文の通り決定する。(昭和二五年九月六日東京地方裁判所民事第八部)

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